鏡開きは、一月十一日。
今では全国的に1/11ですが、昔は関西では1/15や1/20が多くありました。これは「松の内」や「松納め」と関係があります。本来、鏡餅は年神様が宿るものでした。年神様がお家に居る期間を「松の内」、年神様がお帰りになり正月飾りを片付ける時を「松納め」。
そのため、関西では風習通りの松納めで鏡開きをしました。関東でも江戸の初期までは同じく松納めです。1月11日になったのは家光の命日が松納めだったから、将軍の命日に鏡開きを行うのは不敬になると大名たちが控えました。そこで、幕府は慣習が滞りなく行えるように、松納めを1月11日にする御触れを出しました。
今ほど伝達方法がない時代なので、関西の庶民まで鏡開きを1月11日することが伝わりませんでした。なので、関東と関西に鏡開きにする日にちが違う理由です。筆者が、子供の時は15日や20日が多かった記憶があり、今は鏡開きの日にちが何日だっただろうと頭に「?」が出ます。現代では、市販の鏡餅に、鏡開きは1月11日と記載されてることが多く、関西でも11日が浸透しました。
鏡開きの語源ですが、これも武家の文化が大きく影響しています。
まず、「切る」が忌み言葉になっています。そして、「切る」は切腹を連想させるので避けられました。鏡開きの「開く」は運を開くの「開く」で縁起が良いとされています。なので、鏡開きのときは、包丁などの刃物は使いません。木槌なので分けます。
鏡餅の豆知識
鏡餅は、一般家庭の「三種の神器」。
御餅は、八咫鏡(やたのかがみ)。橙(ダイダイ)は、八坂瓊勾玉(やさかにのまがたま)。串柿は、草薙の剣、天叢雲剣(くさなぎのつるぎ、あめのむらくも)。この三つが鏡餅の主役です。
もう少し、詳しく縁起物を見ていきましょう。
橙は、その発音通りに、代々に家が受け継がれて続くように。また、橙は、その実が約3年、3回色付きを変えるといいます。長い実では5年間も果樹に実を付けたままです。なので、長い実から新しい実まで一つの果樹に実を付ける様子が、家族が仲良く代々繁栄するように見立てられています。
杠葉(ゆずりは)は、新しい葉が成長してから、古い葉が落ちるさまを、次の世代に潔く譲ることにより、家が続く願いが込められて飾ります。
串柿は、縁起の良い樹木の嘉来(かき)になぞらています。喜びが来る木。そして、幸せを「かき」集める。また、串柿は10個で1串に、左端の2個、真ん中6個、右端の2個で、「夫婦ニコニコ、仲睦まじく」と洒落になってます。なにより、筆者が好きな串柿の縁起は、もともと渋柿で人が見向きもしないモノを手間と時間をかけ修練することによって、家の床の間を飾るぐらい立派なモノに育つさま。そのことに精神性の高さを感じることです。
裏白(うらじろ)は、名前のとおり葉の裏が白く、後ろめたいことがないと「清廉潔白」をあらわしています。シダのような左右対称の形から夫婦を表し、その白は、白髪を連想させ夫婦の長寿を願います。
伊勢海老、地域によっては飾るところもあり、赤が縁起が良く、腰の曲がるさまから、腰が曲がるまで長生きできることを願います。筆者は現代に合わして、長生きの願いはそのままに、腰の曲がってない海老の水引を飾っています。腰が曲がらないで長生きして欲しい願いを込めています。また、脱皮しながら成長するさまから、生命の更新と躍進を表しています。
昆布は、語呂合わせで「養老昆布」と書きます。養老は長寿の両親を養うさまです。「ようろうこんぶ」がそのまま「よろこぶ」です。また「昆布」も「子生」と書くところがあります。
「養老子生」と書くと両親の長生きと子宝に通じそうですね。また、昆布は、古語で「広布(ひろめ)」と言いました。これも喜びが広がる縁起が良いですね。さらに、江戸期には蝦夷(えぞ)が昆布の産地だったことから夷子布(えびすめ)とも言われ、「えびす」の発音が七福神の恵比寿に掛けて福が授かる願いも込められています。
搗栗(勝栗、かちぐり)。臼でつくことを「搗つ(かつ)」と言いました。その語呂合わせで縁起良いとされています。その栗の実が、黄金色であることから金運も表しています。
末広(すえひろ、扇)、扇の末広がりのかたちから「末永く家が栄えますよう」にという願いが込められています。
御幣(ごへい)or紙垂(しで、四手)は、赤い色には、魔除けの意味。白一色のものは「四手」。四方に大きく手を広げ、繁盛するようにと願うものです。
四方紅(しほうべに)、四方を紅でふちどることで「天地四方」を拝し災いを払う意味があります。一年の息災を願います。
こぼれ話
お正月にお年玉を贈る習慣は、鏡餅の福を御裾分けする意味が込められています。