京の六閣

第8回のタウン情報は、京都の話題です。四條畷と大東から京都まで、それほど遠くないにも関わらず「いつでも行ける」と思って、「いつまで経っても行けない観光地」だったりします。

2017年の夏、東山にある龍池山大雲院「祇園閣」が特別公開されるので記念して記事にします。

京都の夏は暑く、地元の人からすると観光にはあまり適さない季節だと思います。しかし、京都ならでは行事など目白押しです。目的のある人にとっては、夏の観光は今の季節しか味わえない醍醐味です。そんな中の楽しみの一つが日頃見れない文化財の特別公開です。

京には名楼閣が三閣あると言われています。「京の三閣

金閣銀閣とあと一つ、、西本願寺の飛雲閣。こちらを洛陽三閣と言ったりします。とても有名です。
普通は、金銀ときたら「銅」です。そして、金銀銅の三閣と言えば、金閣銀閣と、、、大徳寺芳春院呑湖閣です。呑湖閣(どんこかく)。どんこ→どうかく(銅閣)で洒落になってます。

そして、金閣、銀閣、飛雲閣、呑湖閣を合わせて「京の四閣」と言います。ちょっと知識のある人なら、歴史に興味のある方なら、知っていたりします。

実は、京都には、隠れた楼閣がもう一つあります。多くの観光客が訪れる有名な寺院です。それが楼閣とは知らずに方丈の堪能して見過ごして終わってしまいます。方丈と聞いて、禅寺を思いついた人は、かなりの通ですね。

最後の名楼閣は、東福寺常楽庵開山堂伝衣閣です。

この伝衣閣と京の四閣を合わせて、「京の五閣」と言います。
ここで、今回のタイトルが「京の六閣」になっていたのを思い出した人は、記憶力抜群です。そうです。京都には名楼閣が六つ存在するのです。冒頭の京都特別公開が最後の一つです。

龍池山大雲院祇園閣

京の三閣を思い出してください。金銀とくれば「銅」です。昭和初期になって旧大倉財閥の創始者の故大倉喜八郎よって建てられた「祇園閣」です。祇園閣の屋根が銅葺きであるから「これで京都にも銅閣ができた」と喜んだと言う逸話が伝わっています。これにより金閣銀閣と祇園閣を指して「京の三閣」と呼ぶこともあります。この三閣の場合、飛雲閣と呑湖閣に比べると歴史が浅くメジャーではありません。それでも、祇園閣は名楼閣であることに違いありません。

歴史好きにクイズで答えるには、「京の三閣」と聞かれたら、西本願寺の飛雲閣と答えましょう。逆に、「洒落の三閣」は、わかる?って問題返しをしましょう。そして、先に祇園閣を答えたら、京には三閣ならぬ五閣あると興味を誘い。金閣、銀閣、飛雲閣、呑湖閣、祇園閣と答えが返って来ると不正解。更に追い打ちをかけて、本当は京には六閣あると知れば驚くことでしょう。

「京の六閣」
鹿苑寺金閣慈照寺銀閣西本願寺飛雲閣大徳寺芳春院呑湖閣東福寺常楽庵開山堂伝衣閣、龍池山大雲院祇園閣

公式のWEBがないので、わかりやすくきれいにまとめてくれいるWEBページのリンクを載せます。
飛雲閣1飛雲閣2祇園閣呑湖閣

もっと、詳しく祇園閣

この祇園閣は、大倉喜八郎が一年中、祇園祭の山鉾が見れるように、京都の邸宅に立てた楼閣です。

祇園閣の入り口、「祇園閣」の文字は西園寺公望公筆

扉の前の獅子は、大倉土木の獅子、扉の鶴は、大倉喜八郎の幼名「鶴吉」と雅号「鶴彦」に「鶴」があるので、鶴がモチーフになってます。

扉の鶴と同じく、楼閣の相輪が、遠くから眺めると「鳳凰」に見えます。しかし、本当は「金鶴」になっています。幼名と雅号を由来を知っていれば鶴も納得です。画像からわかるように、よく見ると鶴の形です。

楼閣の一番上の額は、大倉喜八郎筆です。漢文で「萬物生光輝」です。読み下すと「万物は光輝を生ず」。これは、禅語です。禅語とは解釈が大変難しいので、簡単な説明だけをします。

「万物は光輝を生ず」
世の中の全てのモノは、その根底に光輝くモノがある。たとえ、自分に不都合な事や不利益がある事でも、その良い面を忘れてはならない。その良い面を活かす事が人間の充実をもたらす。

筆者のエッセイ
筆者は、この京の六閣を全て回るのに、何年もかけました。

歴史好きなので、京に三閣あるのは知ってました。大学の講義で、当時、龍谷大学から来られた講師が京の四閣の話をしてくれました。しかし、当時の筆者は、呑湖閣のこと忘れて、京都には四閣あることだけ憶えていました。時は流れて、社会人になってから書道の先生と飛雲閣の特別公開に行きました。学芸員のボランティアの学生さんが熱心に解説していて、その話しぶりから、歴史好き建築好きであることが、伝わり、「京都には四閣あると聞いたのですが、残りの一つは分かりますか?」と訊ねたことがあります。その学生さんは分からなかったのです。筆者が何故に京都に四閣あるか知りたくなった様子でした。そこで、昔、大学の講義で龍谷大学の経済学系の講師から聴いたと話した。あきらめて、次の観光をしようと庭を歩き出すと偶然にもその学生さんは、龍谷大学の学生さんで、後ろから凄い勢いで追い掛けて来て、「その講師の方の名前わかりますか?」と訊かれたのですが、呑湖閣を忘れる筆者に、講師の名前を覚える力はありません。「憶えてないです。」と答えて、あの落胆した学生さんの姿が忘れられません。

その時、西本願寺では本堂か何かの修復事業をしていて、信者や檀家さんから寄付を募ってました。瓦の代金を支払い、その瓦の裏に供養したい人の名前を書きました。待ち時間などで、西本願寺の事務員さんと先ほどの京の四閣について、話したり訊いたりしたら、西本願寺の関係者の人は分からなかったけど、修復事業の為に文化庁の職員さんがいるので、その人なら知ってると教えてくれ、その職員さんの席まで案内してくれましたが、生憎、席には居らず。落胆して帰るところでした。西本願寺の事務員さんは力になれないことを悪く思い「ごめんなさい」と言っていましたが、ここまで親切にしてもらって反って恐縮したのを憶えてます。落胆しながらも、次はどこを回ろうかと西本願寺の正門で悩んでいると物凄い勢いで、事務員さんが声をかけてくれました。「今、文化庁の職員さんが帰ってきて、京の四閣を教えてくれました。」「そして、京都には本当は六閣ある。」とても、驚きました。そこで、一つづつメモしましたが、らちがあきません。すると折角だから文化庁の職員さんの話を聴いてみたらどうでしょう?  もう一度案内してくれました。道すがら、こんなにも親切にしてくれた事に感謝とお礼を伝えたら、「私達も勉強になりますから」と言われ感心したのを鮮明に記憶してます。

そこからは、文化庁の職員さん席で、写真を交えて教えてもらいました。そこに、西本願寺を回る前に、これまた偶然に東福寺を見てきたので、さっき、京の六閣とは知らずに伝衣閣を見てたのかとご縁を感じたのでありました。この時から、筆者は京の六閣を回ることを決意し、以後、京の六閣の内容を忘れることはありません。

そして、そのご縁と知識で、会社のブログを書くとは考え深いものです。