令和元年の四條畷の秋。とても空気が爽やかで、青い空に誘われて、街の様子を収めようとカメラを片手に出かけてきました。
四條畷神社から見るこの景色を筆者は大好きだ。季節も良いので境内の休憩所には、ちらほらと人影がある。運動に来た人、ツーリングに来た人、ドライブに来た人、散策に来た人とどこか楽しそうだ。
写真では大阪の都心部が水平線の中に小さく収まっているが、肉眼ではビルの輪郭までははっきりとわかる。大阪平野に密集した都市部の建造物が街の営みを感じさせてくれる。
とても気分が良くなって、飯盛山の山頂ならもっと良い景色が広がるのではないかと登ってみることにした。
しかし、ハイキングコースの入り口に
カエンダケの注意喚起を見つけてしまい。気分は急降下。
今年は、セアカゴケグモに咬まれてる上に、カエンダケから火傷したら、シャレにならないと怖気ついた。
ふと、怖さが心を覆い始めると、いつもは自然あふれるハイキングコースも恐怖の対象になっていく。そういえば、山でマムシの話をしたことも思い出し、一人での撮影が不安ばかりになった。三合目ぐらい登ったところで、あとどのぐらいか調べることにした。
山頂に登り下山するまでに、2時間はかかることがわかった。四條畷神社の休憩所とは違い、飯盛山のハイキングコースは人影がない。万が一、マムシに咬まれたら、万が一、カエンダケで火傷してしまったら。それに、ハイキングするような恰好ではない。スラックスにポロシャツ。水筒も持参してない。どんなに標高が険しくない山だとしても、山を舐めすぎている。引き返すことにした。
足早に、休憩所に着いたときには、安堵した。少しその場で休み。もう一度景色を堪能した。
四條畷神社に登る前に、四條畷では5軒ほどになった米を作っているお百姓さんの田んぼをみたら、もう、稲刈りが終わっていた。
全国的に田植えも稲刈りも最も遅い北河内、学研都市線の沿線でも、この写真を撮った時はまだ、稲穂が頭を垂れているところも多かったが、それもこのブログが更新される頃には段々と終っているだろう。
稲刈りの後の藁を乾燥させる為に、束ねて立てているこの絵が三匹の子豚を思い出し、なんとも郷愁かられる。
今では、藁は道の駅で売られていたりしますが、現代人の生活では、そこまで金銭的な価値を見出せません。しかし、ほんの半世紀以上前までは、藁も立派な資源でした。藁の灰まで大事に使われていました。現代の生活では藁灰を使う事もなくなり、藁を乾燥させるこの風景はいつまで四條畷でも見れるだろう。大阪でも見れるのはあとどのぐらいの地域があるだろうと憂愁に包まれた。